なら学研究会

奈良女子大学なら学研究センターのワーキンググループ「なら学研究会」の活動報告。奈良の研究史・研究者の回顧・再評価をおこなっています。

澤田文庫所蔵資料撮影MTG

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  • 【日時】2016年11月16日(水)、15時~
  • 【場所】大阪大谷大学図書館
  • 【参加】寺岡・磯部、小林写真工業様

大阪大谷大学図書館にて澤田文庫所蔵資料撮影に関する打ち合わせ。撮影日時と撮影場所を確定しました。

予算も少し余裕があったので、撮影資料を数点追加。いずれも貴重なもので、撮影「は」順調に進んでいます。あとは研究会での分析・討議。。。

撮影にあたってご配慮いただいた大阪大谷大学図書館に感謝いたします。

※ 写真は南国、ではなく、大阪大谷大学正門から葛城山を望んだ景。

遠野市立博物館調査

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  • 【日にち】2016年10月29日(土曜)・30日(日曜)
  • 【参 加】2名(寺岡・磯部)
  • 【場 所】遠野市立博物館
調査概要

遠野市立博物館所蔵澤田四郎作資料の調査。澤田四郎作柳田国男書簡や近畿民俗学会での柳田国男の講演原稿等を閲覧・撮影。柳田のセルフポートレート絵はがきに、寺岡ともどもしばし圧倒される。これもまた柳田の「方法」なのだろうか。柳田自身による柳田の権威化、偶像化。(トップ)アイドルとしての柳田国男。これに萌えあがり舞いあがり、やられてしまった青年知識人も多かったはずで、本研究会が追いかける澤田四郎作もその一人なのであった。

今回のお目当ては、澤田四郎作宅への来訪者が名前や歌を書きつけた芳名録。澤田四郎作といえば、この芳名録と調査カード(現在は大阪大谷大学澤田文庫所蔵)が引きあいにだされることが多いが、芳名録はいまのところ遠野市立博物館が所蔵する一点のみが現存している。

柳田国男宮本常一ほか在朝/在野を問わず多くの人たちが澤田家を訪ねていて、芳名録からは「知」の結節点としての澤田四郎作のすがたが浮かびあがってくる。澤田の人脈やメディエーター的役割については佐藤健二柳田国男の歴史社会学―続・読書空間の近代―』(せりか書房、2015)がすでに指摘するところで、大阪民俗談話会が澤田四郎作の自宅から始まったことと「場」―空間・広場・広がり―の学問としての民俗学の相関を見る。

近畿民俗学会の前身たる大阪民俗談話会は昭和9年末に始まるが、澤田が終生敬愛してやまなかった柳田の木曜会もまたおなじころに始まっており、澤田が目指したのがそこなのかどうか、またその同質性と異質性、澤田四郎作のプロデュース手腕等は、なら学研究会の課題となるところであることも、今回の調査であらためて確認できた。かの芳名録も、のちに一年分をまとめて製本したのだろう、箔を散らした見返し紙や布クロスの表紙に麻生路郎(wikipedia)による「奇縁壱年」墨書題簽が貼付されていて、これが単なる名寄せではなく自身のもっとも大事とするものであったことを示している。彼のネット(つながり)ワーク(機能)に、資料をとおしてどこまで迫れるだろうか。

貴重な資料の閲覧・撮影を許可くださった遠野市立博物館に、御礼申し上げます。

その他

遠野に降りたったのは初めてのこと。花巻空港からレンタカーで移動したが、『遠野物語』 序文にいう、

花巻より十余里の路上には町場三ヶ所あり。其他は唯青き山と原野なり。人煙の稀少なること北海道の石狩の平野よりも甚だし。或は新道なるが故に民居の来り就ける者少なきか。

(明治43年。国立国会図書館デジタルコレクション)

を目の前にみるごとく、家がまばらにあった。コンビニもスーパーマーケットの影も見えず、いったいどこで買いものをしているのだろうなどと俗な疑問を同僚と交わしながら、遠くまでひろがる風景のなかを運転する。

夜は夜で遠野名物のジンギスカンどぶろくを堪能。美味絶品也。脳と目と舌と胃がフル回転の調査であった。

帰途、時間がすこしあったので、早池峰経由で花巻空港へ。

附馬牛の谷へ越ゆれば早池峰の山は淡く霞み山の形は菅笠の如く又片仮名のヘの字に似たり。

遠野物語』のこの一節が好きでどうしても早池峰山を見たかったのだが、ふもとから見あげる早池峰の山は、大きくそびえたつ山そのものだった。

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澤田家資料の撮影

調査

プロジェクト経費での資料撮影でお世話になっている小林写真工業さんにお邪魔し、澤田家借出史料の書誌調査と、経費撮影以外の資料についての撮影をおこなってきました。

専門業者の機材を借りての撮影という貴重な体験。できあがりもコンデジとは違い、はっきりくっきりです。

土曜日で、しかも業務多忙のなかご協力いただいた小林写真さんに感謝申し上げます。

参加者等

【日時】2016年9月10日(土)、9時~

【場所】小林写真工業

【参加】4名(磯部・岩坂・寺岡・山上) 

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臨時打ち合わせと普光院見学

【打ち合わせ】
  • 日時 2016年8月27日(土)、14時~
  • 場所 奈良女子大学文学部N棟 N339教室
  • 参加 4名(山上・岩坂・寺岡・磯部)

事前に澤田四郎作研究のための基礎文献を読んでおいての打ち合わせ。

上記が提示しているフレームについて、澤田文庫や澤田家文書などをふまえた具体的検証がなら学研究会の課題であることを確認しました。戦後、柳田国男奈良女子大学で講演していることに驚き。学内に資料があるかしら。

その後、なら学研究会のテーマと報告者について確認。澤田や水木直箭、笹谷良造らを追っていけば柳田や折口につながっていくのは必然で、大きな山ではありますが、とても興味深い問題ですね。

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【見学】

研究会後、みなで普光院へ。ここには奈良一刀彫りの名人と称された森川杜園の墓や阪田購文堂の碑があります。

購文堂は明治初期に奈良で印刷や書籍を商っていた業者で、奈良の近代史においては注目しておかねばならないもののひとりです。

下図、手前が杜園の墓で、むこうにあるのが購文堂の碑。経年で彫りが浅くなり、石も崩れていて、重要な文面はほとんど読めず。。。

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*1:佐藤・岩井論考ともに『柳田国男研究論集』6号(柳田国男の会、2008.6)所載。佐藤論考は同氏『柳田国男の歴史社会学―続・読書空間の近代―』(せりか書房、2015)にも掲載。出版史的にも興味深い著書です。

澤田家訪問調査

【調査】

澤田四郎作氏のご遺族宅にうかがい、澤田家所蔵の書籍や資料を調査しました。

澤田四郎作氏旧蔵書籍・資料の多くは大阪大谷大学の澤田文庫に、柳田國男関係の資料や書簡は遠野市立博物館に収められていますが、澤田家ご所蔵の資料も貴重なものばかり。とりわけ稿本類が充実しており、澤田四郎作研究必須の資料となりそうです。

本研究会のプロジェクトの趣旨にもご理解くださり、書籍や資料を拝借。業者さんにお願いして撮影することになりました。

これまでに澤田家には数度訪問していますが、毎度おいしい手作りのケーキをご馳走に、、、。ご遺族(四郎作氏のご子息のご夫人)が奈良のご出身ということもあって、話もつきない調査となりました。

ありがとうございました。

【参加者等】
  • 日時 2016年7月25日(月)、15時~
  • 場所 澤田家
  • 参加 4名(業者1名を含む) 

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学内プロジェクト経費に採用されました

平成28年度の奈良女子大学研究推進プロジェクト経費に採用されました。

【研究課題】

   郷土史研究者の人的ネットワーク解明のための基礎研究

        ―奈良県出身・澤田四郎作の旧蔵史料の調査と分析―

 

【研究者】

【14】岡本彰夫:大和古物蒐集覚(続々)

第14回 なら学研究会

第12回・13回にひきつづいて岡本先生による大和古物のご講演で、今回のテーマは「赤膚焼」。フリーペーパー「やまとびと」連載の「やまとのこころ」をもとに、赤膚焼の魅力と職人についてお話いただきました。

赤膚焼といえば奈良絵がまっさきに思い浮かびますが、それは後年になってからのことなのだそうです。では、そもそもの赤膚焼とはどのようなものだったのか、なにに用いられていたのか、他の焼物とくらべて何が"特徴"なのか。焼物の真贋も含め、今回も濃いお話でした。

講演

【講師】岡本彰夫(神主、奈良県立大学客員教授、宇賀志屋文庫)

【演題】大和古物蒐集覚(続々)

会場等

【日時】2016年6月26日(日曜)、14時~

【会場】奈良女子大学 N330教室(文学系N棟)

【参加】9名

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