なら学研究会

奈良女子大学なら学研究センターのワーキンググループ「なら学研究会」の活動報告。奈良の研究史・研究者の回顧・再評価をおこなっています。

【22】喜夛隆子:前登志夫について

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【講師】喜夛隆子氏(歌人

【演題】前登志夫について

【日時】2018年8月19日(日)14:00-16:30

【会場】奈良女子大学 文学系N棟3階 N339教室

【参加】10名 

【開催文】

奈良・大和の研究者・研究史を回顧・再評価する、第22回なら学研究会を開催します。

今回も前回に続き奈良と文学をテーマにします。今回対象とするのは歌人前登志夫(1926-2008,Wikipedia「前登志夫」)です。

前は吉野郡に生まれました。戦後すぐ詩作を始めたが、その後短歌に転じ数多くの作品を残しました。1980年に歌誌『ヤママユ』を創刊、吉野に住み林業に従事しながら、民俗学や随筆などの多くの業績を残しました。そのため、前は、作品論はもちろん、文学・民俗学そして吉野など多くの次元のネットワークから考えるべき存在といえるでしょう。

今回は、前氏に師事され、かつ民俗誌の著作もある歌人喜夛隆子氏に、こうした視点から前登志夫を語っていただきます。

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【参加記】

奈良県外に生まれたわたしにとって、奈良は修学旅行で訪れるところであり、「なんと大きな平城京」であり、万葉の地であった。それが縁あって奈良女子大学に着任。ならば、ということで「奈良」を意識しながら谷崎潤一郎吉野葛』を授業で読み始めたところ、その過程で吉野で発行された花岡大学の『吉野風土記』に出会った。そして同誌の調査で前登志夫の名前を見るに至るのだが、それが原稿不着による空白ページ。だから、わたしのなかで前登志夫は「原稿落とし」というイメージが強い。その後、『吉野紀行』や『森の時間』を読むうちにこのイメージはしだいに薄らいではいったけれど、今日の話は「原稿落とし」を忘れさせてくれるくらいの面白さだった。

前は、自身が住んでいた吉野について、このように述べている。

容易に観光化されていかない吉野に、吉野のおもしろさがあるのではないかとおもう。風景そのものも日本の各名勝より格段すぐれているわけではない。吉野の山河がぼくらに話しかけてくるのは、ぼくらが伝統というかけがえのない経験をもって接するときだけかもしれない。その意味で吉野は、大和に対する吉野という性格を忘れてはなるまい。(前登志夫『吉野紀行 新版』、角川選書145、1984、p.10)

吉野を、山をみずからの居所と見さだめた前の、日々の生活のなかから生まれでてくる言葉が詩や歌になる。

立派な芸術作品をつくろうとして、よい歌の出来ることはまずあるまい。生身の願望がおのずから言葉になるときに歌は出来る。(前登志夫『山河慟哭』、p.301)

前の、そうした芯のようなものが、実は師である前川佐美雄との距離でもあったというのが面白い。前と前川はおなじ奈良に生まれた山持ちではあるが、前が吉野に生まれた山人であるのに対し、前川は忍海の地主の御曹司。だから前は言う。「郷党としての臍の緒はどこかで断ち切らねばならぬ」(『山河慟哭』、p.303)。もっとも、これは師を、師の歌をいかに理解するか、そして自身を、自身の歌をいかに見てもらうかという相互理解に起因するもののようで、前はこうも言っている。

青人草にとって、貴族の憂悶や歓喜というものは、郷党である限りついにわからぬのではあるまいか。地主には百姓の悲しみや歓びもまたわからぬ。(『山河慟哭』、pp.302-303)

喜夛氏は、前の歌集『霊異記』(1972)所収の歌、

さくら咲く その花影の 水に研ぐ 夢やはらかし 朝の斧は

を解釈し、山人にとっての精神の象徴としての「斧」の、その研いだ刃のするどさと、夢のおだやかさ。その二面性をこの歌に見ていたが、いわば表現の歌でもあるこの歌を見ながら、前の、師に対するあのような距離感と愛情とを想起した。

師の前川に就いてみれば、高畑の志賀直哉邸に人びとが集い、志賀帰京後は上司海雲がそれを引き継いだ、まさにおなじ時期に、奈良女子大学の目の前の坊屋敷町にあった前川邸に、志賀や保田与重郎、辰巳利文、塚本邦雄などが参集していたのだという。奈良における人的交流を追求する本研究会からすれば興味深い事例である。

興味深いといえば、前回の浅田氏のご講演でも話題になった奈良の文芸と林業の関係について、前と前川もともに林業に携わる人物であった。それぞれの林業に対する思想信条はともかくとして、そうした人に対する外部の視線や期待というものは、やはり考えていかねばならないことが質疑応答を通して確認された。

最後に。喜夛氏ご所蔵の写真のなかに、書斎のなかの前登志夫を写したものがあった。前を囲んでいるのは、絶妙なバランスで積まれた数多の本ども。前は、前川について、

寒い、古びた十畳の座敷には、鬼の砦のように書籍・雑誌が乱雑に堆い。(『山河慟哭』、p.303)

などと述べているが、喜夛氏いわく、「これは前もおなじ。前は、本の砦の歌の鬼」。

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第22回 なら学研究会のご案内

奈良・大和の研究者・研究史を回顧・再評価する、第22回なら学研究会を開催します。

今回も前回に続き奈良と文学をテーマにします。今回対象とするのは歌人前登志夫(1926-2008,Wikipedia「前登志夫」)です。

前は吉野郡に生まれました。戦後すぐ詩作を始めたが、その後短歌に転じ数多くの作品を残しました。1980年に歌誌『ヤママユ』を創刊、吉野に住み林業に従事しながら、民俗学や随筆などの多くの業績を残しました。そのため、前は、作品論はもちろん、文学・民俗学そして吉野など多くの次元のネットワークから考えるべき存在といえるでしょう。

今回は、前氏に師事され、かつ民俗誌の著作もある歌人喜夛隆子氏に、こうした視点から前登志夫を語っていただきます。

テーマ:前登志夫について(仮)
講 師:喜夛隆子氏 歌人 歌集『柿の消えた空』(角川書店)など著作多数。
日 時:2018年8月19日(日)14:00-16:30
場 所:奈良女子大学文学系N棟3階N339教室
備 考:入場無料・事前申し込み不要

お問い合わせ:なら学研究センター(naragakunarajo@gmail.com

主 催:奈良女子大学大和紀伊半島学研究所なら学研究センター
共 催:奈良女子大学文学部なら学プロジェクト

【もくじ】澤田四郎作翻刻『晴雨日記調』

桑名市立中央図書館堀田文庫所蔵本による。

詳細蔵書検索:桑名市立図書館

堀田文庫は桑名市民俗学者田吉雄氏の旧蔵書。詳細は以下を参照。

 体裁

A5版、仮製本。本文はガリ版

表紙、飾り枠内に「安政五戊午年/晴雨日記調/陞リ 道中意藻屑/不許他見日長独楽」。

後ろ表紙見返しに近畿民俗学会連絡先貼付(封筒を切ったものと思しく、堀田の手によるものか)。

同所に堀田吉雄の文庫印「葦茅文庫」(無枠黒印)押捺。

もくじ

序文 ・・・・・・ (1)ウラ白

口絵写真 ・・・・・・ (1)ウラ白

内扉

本文 ・・・・・・ (2)〜(83)二段

後記 ・・・・・・ (84)

※口絵写真は五倍子文庫(澤田四郎作)蔵の同書原本表紙

序文

謹んで新春の喜びを申し上げます

  昭和四十二年正月十日

            沢田四郎作

この小冊子は終戦後、シベリヤより復員し、書物整理しつゝあるとき、土蔵の隅よりみつけて読み耽り筆写せしもの。滋賀県高島郡舟木生れの杉本万介といふ商家の番頭が、山梨(「長野」を青ペン訂正)県花わ新店より近江の本店へ移帰の道中日記なり。爾来暇をみては註を書きつゞけ来りたるも、雑事多忙のため、その完成の見通しつかず。いたづらに年老い来りて心もとなし。

よりて、原本を筆写したまゝを印刷して、先輩、友人達に贈り、学問のために利用して戴きたくと思ひ、座右にお送りいたす次第です。

            五倍子記

※末尾に「正誤表調整中」(青ペン記入)

後記

昭和二十三年十月三十一日筆写完了、判読しがたき部は水木直箭君によつて補はれしものを浄書す

 昭和二十三年十二月六日ひる

            沢田四郎作

【21】浅田隆:奈良 文学の小窓からの風景

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【講師】浅田隆氏(奈良大学名誉教授)

【演題】奈良 文学の小窓からの風景

【日時】2018年6月17日(日)14:00-16:30

【会場】奈良女子大学 文学系N棟3階 N339教室

【参加】8名

【開催文】

奈良・大和の郷土研究を回顧・再評価するなら学研究会(第21回)を開催します。今回は、近代文学に焦点をあてておこないます。

近代以降の奈良における文学や文学者の重要性は、きわめて大きいものがありました。そしてそれは近代日本の自己認識にとっても大きな役割を果たしましたし、奈良という地により近づけて述べれば、様々な領域の文化人たちとの知のネットワーク形成において不可欠な役割を果たしたといえます。

こうした点について、近代奈良・近代日本を文学・文学者を通して研究され、この領域を俯瞰する『奈良近代文学事典』という重要な業績を生み出してこられた浅田隆先生をお招きし、近代奈良にとって文学や文学者とはどういう存在であったのかについてお話いただきます。

【参加記】

開催文末尾にあるように、研究会では浅田先生に「近代奈良にとって文学や文学者とはどういう存在であったのか」という問いを事前に投げかけたのだが、先生によれば、これは検証するのが難しい問題であるという。農業や林業など生産県(圏)である奈良における〈文学〉の位相、また近世や近代の〈歴史〉が古代・中世のそれにくらべて軽視されがちな土地柄にあって〈文学〉を実践するという気概や心性に属する問題であるからだ。そこで浅田先生は我々の問いかけをずらし、「近代文学にとっての〈奈良〉とはどのような存在であったか」と問うてお話くださった。森鷗外会津八一、井上靖など多岐にわたった事例をうかがいながら、わたしは北村信昭のエッセイ「小説に出てくる『奈良』—近作三篇を中心として—」(『浅茅』2巻2号、昭和8年4月)を思い出した。奈良に生まれ育った北村は、昨今の奈良における小説文壇に「地が生み地に育つた一人の作家も持たぬ」と嘆いて「地が生み、地で育つたものの情熱で奈良が書かれるのは何時のことであらう」と述べていたのだが、〈奈良〉は外部の者(よそもの)だからこそ発見・感動しえたのであって、奈良が当たり前にある内部の者(とちもの)にとって〈奈良〉は生まれにくいのかもしれない。

研究会では「様々な領域の文化人たちとの知のネットワーク形成」についてもお話いただいたが、〈文学〉実践と奈良経済の問題のかかわりが興味深かった。「文化人とパトロン」問題は澤田四郎作においても浮上してきたが、吉野林業の影響力を今回あらためて認識したのであった。

ここには書けないお話もあり、興味のつきない3時間であった。

第21回なら学研究会のご案内

【講師】浅田隆氏(奈良大学名誉教授)

【演題】奈良 文学の小窓からの風景

奈良・大和の郷土研究を回顧・再評価するなら学研究会(第21回)を開催します。今回は近代文学に焦点をあてます。

近代以降の奈良において文学や文学者の重要性は極めて大きいものがありました。そしてそれは近代日本の自己認識にとっても大きな役割を果たしましたし、奈良という地により近づけて述べれば、様々な領域の文化人たちとの知のネットワーク形成において不可欠な役割を果たしたといえます。

こうした点について、近代奈良・近代日本を文学・文学者を通して研究され、この領域を俯瞰する『奈良近代文学事典』という重要な業績を生み出してこられた浅田隆先生をお招きし、近代奈良にとって文学や文学者とはどういう存在であったのかについてお話いただきます。

講師の浅田先生のご専門は近代日本文学。主要著書に『奈良近代文学事典』(共編、和泉書院)、『古代の幻―日本近代文学の<奈良>』(共編、世界思想社)、『文学でたどる世界遺産・奈良』(共編、風媒社)など多数ございます。

興味関心の向きは、ふるってご参加ください。なお、配付資料準備の関係から事前連絡を頂戴しておりますこと、ご了承ください。

 

【日時】2018年6月17日(日)14:00-16:30

【会場】奈良女子大学 文学系N棟3階 N339教室

【備考】参加費無料。参加希望者は6月15日(金)までに下記メールアドレスまで連絡をお願いします。

    連絡先:naragakunarajo★gmail.com(★を@に変えて送信ください) 

 
主催:大和紀伊半島学研究所なら学研究センター
共催:奈良女子大学文学部なら学プロジェクト
 

【20】岡島永昌:保井芳太郎のコレクション形成とその背景

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平成29年度 第20回なら学研究会

【講師】岡島永昌氏(王寺町教育委員会

【演題】保井芳太郎のコレクション形成とその背景

会場等

【日時】2018年2月24日(日)13:30〜

【会場】奈良女子大学文学系N棟N339教室

【参加】7名

開催文

今回は、奈良・大和の代表的な古物・古文書蒐集家、保井芳太郎についてです。近代奈良・大和の研究において、こうした蒐集家のネットワークや足跡の重要性が、最近注目されるようになってきています。水木要太郎がその代表格とされますが、保井の存在はこうした人々や、大和の郷土史研究ネットワークとどのようにつながっていたのか。

参加記

大和古瓦と保井芳太郎はセットになるくらい著名な人物です。

おそらく最初は趣味的なものだったのでしょうが、天沼俊一や水木要太郎ら研究者との出会いが保井の蒐集に方法論を持ち込むことになり、自身の営為に研究という補助線ができるようになったとのこと。けれども保井は集めたものを秘匿することなく、自宅で古瓦の展示会を開いたり、誰彼の研究のために惜しみなく貸し出したりしていたそうです。

保井の古物・古文書蒐集にみられる郷土性とアカデミズムの両面を岡島氏は指摘しましたが、こうした態度は「蒐集家」とか「コレクター」といった言葉には収まりきらない性質のように思います。保井の古瓦蒐集は、近世から続く旧家で地元の素封家という自身の出自と、自ら村史を編もうとして史料を集めていた叔父の存在がきっかけにあるようですが、そうした来歴が背景にあるのでしょうか。私たちなら学研究会では澤田四郎作のプロデューサー・メディエーターとしての側面を考察してきましたが、澤田のそうしたあり方ともどこか違うようにも思います。

どのようなワードでもって彼を評価しうるのか。保井芳太郎はとても興味深い存在になりました。

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澤田四郎作研究に関する臨時研究会

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パンフレット執筆者による、澤田四郎作研究の今後についての臨時打ち合わせをおこないました。

今後、研究会としてなにができるのか、なにをおこなうべきなのか。「奈良」を多面的に検証すべく、澤田のコンテクストに名前がでてくる水木直箭、高田十郎、田村吉永などの存在の重要性とアプローチについて討議しました。

彼らが表象する「奈良」は、画家や小説家たちが「奈良」を発見していくのとどう関わってくるのでしょうか。おなじ時空間にある両者の相関、ありやなしや。

澤田四郎作旧蔵資料(大阪大谷大学澤田文庫)、北村信昭コレクション(奈良大学)、東洋民族博物館や県立図書情報館などが所蔵する種々の資料群がつながったときに見えてくる風景を立体的に解明・公開すること。研究会の趣旨を再確認した3時間でもありました。