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なら学研究会

奈良女子大学文学部「なら学プロジェクト」のワーキンググループ「なら学研究会」の活動報告。奈良の研究史・研究者の回顧・再評価をおこなっています。

【16】喜夛隆子:やまと國中に住んで

【活動】研究会

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平成28年度第3回なら学談話会・第16回なら学研究会 

【講師】喜夛隆子氏(歌人

【演題】やまと國中に住んで

会場等

【日時】2016年12月26日(月)14時〜

【場所】奈良女子大学文学系N棟、N339教室

【参加】10名

参加記

講師の喜夛隆子氏は前登志夫に師事された歌人。前氏の民俗学への関心に共感し、大和國中(くんなか)の民俗を見つめてこられました。大和郡山市額田部地区での生活とまなざしは『わたしの額田部』(創芸出版、1988年)に結実しましたが、消えゆく習俗の記録は、暖かくも冷静なまなざしと奥行きのある語り口とも相俟って高い評価を得、『日本民俗誌集成14巻 近畿編(2)三重・奈良』(三一書房、1998年)に収録されるに至りました。『わたしの額田部』を「発見」した浦西勉は、『日本民俗誌集成』の解題で次のように述べています。

喜多隆子氏は、大阪府堺市から旧家、喜多家に嫁いで来て、大和の習慣には様々な意見を持っておられたようだが、それをこのような形で文章化されるまでにその習慣を身につけたことになる。大和の主婦は、家を守り、村を見つめ続け、子供を育て、先祖を守り、田畑を守ること自体が民俗なのである。それは、家刀自として重要な意味があることを知らしめるのである。あえて、複雑といって良い程、 村のつきあい、親戚のつきあいが、この社会には生きている。この地方の民俗は、実は一過性の民俗調査では理解できぬものが多く実の多いものにはならず、そこに住みついて何年も経験を積まなければ、おそらく五百年以上連綿と続く家や土地の習俗は理解されないものなのである。ここに『わたしの額田部』の民俗資料としての意味がある。(p.672)

外から嫁いで来たゆえに持ちえた「外部の眼」と、実際にそこで生活しているゆえに持ちえる「内部の眼」とが 融合した同書は、消えゆく習俗やことばに対して、ノスタルジックになるわけでもなく、声高に保存(アーカイブ)を叫ぶわけでもありません。『わたしの額田部』で喜夛氏は次のように述べています。

年々、生活様式も変わり、使われなくなって、忘れ去られるものも多くなるのは、当然のことだし、言葉も万葉以前の昔から、現代まで変化してきたように、今後も変化しつづけるであろう。しかし現代は、その変化が加速度的に速くなっているように思う。二、三代前の人が、いや親が使っていた言葉でさえ、辞引で意味を調べなくてはわからないものも出てくるかもしれない。そして外来語を含めて新しい言葉はどんどん増えるだろう。しかし、共通語であれ、方言であれ、美しい日本語はずっと子孫に伝わってほしいと願う。(pp.106-107)

同書を読み、今日のお話をうかがいながら、消滅も発生もふくめて変わりゆくさまを記述していこう、そうした変化とともにあろうという「覚悟」を感じました。 

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