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なら学研究会

奈良女子大学文学部「なら学プロジェクト」のワーキンググループ「なら学研究会」の活動報告。奈良の研究史・研究者の回顧・再評価をおこなっています。

【もくじ】『五倍子雑筆』1〜13号(澤田四郎作私家版)

表紙は山口草平筆。

1号(昭和97月)

奥付は次のとおり。

印刷 昭和九年六月廿八日/発行 昭和九年七月一日/× × × ×/著者発行者 大阪市西成区玉出本通一丁目十二番地 澤田四郎作 (電話 天下茶屋二九一三番)

第一号に収められた「伊勢の話」のいきさつは参考として掲げた「小序」に詳しい。この小序でいう「日頃書きつけてゐた五倍子雑筆」は、現在、澤田家が所蔵する(その目次は別にアップロードの予定)。なお、大阪大谷大学澤田文庫所蔵本には小序末尾に澤田四郎作の識語がある。「小管新蔵翁は昭和拾弐年十一月郷里小川村にて逝去せし旨勝佐一郎君より通知あり、香典五円送り冥福を祈る」(不読)。

もくじ 

初夏御伺 ・・・・・・ (1)

小序 ・・・・・・ (1)

伊勢の話

 伊勢おかげ ・・・・・・ 1

 狐の七化け狸の八化け ・・・・・・ 2

 家に関する事ども ・・・・・・ 2

 雨乞ひ ・・・・・・ 3

 卯の日の田植 ・・・・・・ 7

 天狗の話 ・・・・・・ 7

 津のおこなひ ・・・・・・ 9

 サンマ ・・・・・・ 9

 餅花 ・・・・・・ 10

 笊破り ・・・・・・ 10

 女中 ・・・・・・ 10

 嫁入り ・・・・・・ 10

 山の神 ・・・・・・ 11

 友引の日の葬式 ・・・・・・ 11

 柿 ・・・・・・ 12

 蜜柑 ・・・・・・ 12

 鳥 ・・・・・・ 13

 川魚 ・・・・・・ 13

 漆の木 ・・・・・・ 14

 枕 ・・・・・・ 14

 オヒキ ・・・・・・ 14

 ゴーカキ ・・・・・・ 14

 魚の名 ・・・・・・ 15

 ジヤボンの木 ・・・・・・ 15

 イゴロ ・・・・・・ 16

 ※「イロゴ」を訂正

 獅子舞 ・・・・・・ 16

 月夜見神社 ・・・・・・ 18

 ナメカタとホンビキ ・・・・・・ 18

 炬燵 ・・・・・・ 19

 川魚を捕る方法 ・・・・・・ 19

 オシヤマの肉 ・・・・・・ 19

 蝸牛 ・・・・・・ 20

 ほねつぎ医 ・・・・・・ 20

 井戸・便所の神 ・・・・・・ 20

 赤子に麻の葉の模様の着物 ・・・・・・ 20

 草とりに毒虫を避く ・・・・・・ 20

 磯部の御田 ・・・・・・ 21

 肥料を汲む ・・・・・・ 21

 善光寺参り ・・・・・・ 21

 ふぐ毒 ・・・・・・ 22

 カラミ餅 ・・・・・・ 22

 ヨソモノ ・・・・・・ 22

 下り商売 ・・・・・・ 23

 サイフ児 ・・・・・・ 23

 死人あれば機をおらず ・・・・・・ 23

 牛蒡作り ・・・・・・ 24

 枇杷の初なり ・・・・・・ 24

 着物の着初め ・・・・・・ 24

 庚申の夜 ・・・・・・ 25

 ゆかんと縄帯 ・・・・・・ 25

 夜の蜘蛛 ・・・・・・ 25

 てまり歌 ・・・・・・ 25

 臼ひき歌 ・・・・・・ 26

 オトゴの正月 ・・・・・・ 27

 サナ ・・・・・・ 27

 お産 ・・・・・・ 27

 日まちとテツポウ ・・・・・・ 28

 ネヂ久とベタ久 ・・・・・・ 28

 お医者の夜逃げ ・・・・・・ 29

 猿猴の英治の芝居 ・・・・・・30

 物捜し ・・・・・・ 32

 両頭の蛇 ・・・・・・ 32

 鶏足山の祭 ・・・・・・ 32

 タナハナ ・・・・・・ 33

 抜け参り ・・・・・・ 33

 ぜんざい屋 ・・・・・・ 34

 大蛇の肉 ・・・・・・ 34

 方言の一二 ・・・・・・ 35

随筆

 炬燵 ・・・・・・ 37

 午睡 ・・・・・・ 41

編集後記

奥付(旧著広告・刊記)

【参考】「初夏御伺」

 石の上にも三年といふ。此頃やつと軒端に巣くふ雀の声にも無関心で居られる様になつた自分を見出す事が出来るやうになつたものの、よく本を読み、よく旅に出でようといふ多年の心持が、漠然と赴任奉職の方針を変へて、大阪に来りて一開業医となる決心を作つた事が、私の大きな間違であつた事をつく〴〵悔ひなければならなかつた。病院で患者を受け持つ心持ちと違つて、より以上の煩しさと、時間的束縛を受けねばならないし、発病は夜と昼とを超越して来り、たとへ閑日といへども一人の重症があれば、心それに虜はれて、落ちついて本を読む心のゆとりを持つ事が出来ない。まして人情は親を失ふを自然として詮めるも、愛児を失へば、母親をして一時の発狂の状態に至らしめ、現世医学を以てするも不可抗力とする謂はゞ宿世的な疾病も、やがては医師に罵倒と呪詛の言葉を潜にして自ら慰むる者あり。

 誠意人に徹せず、夜を徹して己が転職を抛たんとまで思ひし事あり。

 石の上に三年。

かうした「自己のない生活」をあきらめ、又、読書に近づくために、五倍子雑筆なるものを作り、日頃種々の資料を恵与されつゝある人々への御礼と消息に代へる次第であります。

   昭和九年五月二十七日海軍記念日の夜   五倍子生

【参考】小序

 小管新蔵翁は伊勢国河芸郡栗間村字小川に生れられた。元治元年甲子の年の生れであるから今年は丁度七十一歳になられたわけである。今も元気で故郷に悠々と日を送られてゐる。この正月はわざ〳〵大阪まで出かけて来られ、家に長くあつたといふ行燈皿などをくれられた。

 翁は壮年時代は大工を職とせられてゐて、明治十九年から二十三年頃まで逓信省技師伊深勝治郎氏のもとに飛騨地方へよく出かけられたさうで、その頃よく下街道あたりで、ツグミのつけ焼や蜂の子の煮付などをよく宿屋で食べさせられた事を物語られた。

 その頃の米価は一升四銭五厘で宿賃が十銭だつたといふ。それからずつと後になつて東京に出て来られ、三人の実子があつたが養女に婿の音次郎氏を迎へられ、隠居の生活をしてゐられたのである。私が翁と相知る様になつたのは大正十二年八月の末であつた。

 丁度私がまだ東京帝大医学部の学生だつた頃で、郷里から家内と子供を連れて初めて東京で一家を構へた年であつた。翁の弟子だつた武田末吉さんの持ち家に落ちつく事一週間であの大震災に遭ひ、不安におびえながら野宿の生活を数日つゞけ食糧の途も絶えなかつたのは全く翁の一家のお蔭であつた。

 程なく私は翁の持ち家に移り住んで、全く家人の如き心安さを以て往き来をしてゐた。翁の家とは庭つゞきであつて、夜はよく出かけて来られてよく故郷の話をせられた。私はこれを筆記して、日頃書きつけてゐた五倍子雑筆のうちに加へておいたものが、この小冊子である。

 翁はその後養女、女婿の逝去に遭はれ、昭和五年伊勢の郷里に帰せられたので、この小冊子は大正の末頃から昭和五年にかけて聞き得た話を纏めたものである。一は小管翁の古稀の祝ひとして、一は我がなつかしき東京の生活を回顧するために小冊子とした所以である。

   昭和九年三月三十日

               五倍子生

2号(昭和101月)

ノンブルは通し番号。本号掲載の記事はいずれも聞き書き。奥付は次のとおり。

五倍子雑筆第二号(非売品)/昭和九年十二月廿三日印刷/昭和十年一月一日発行/著者兼発行者 大阪市西成区玉出本通一ノ一二 澤田四郎作 電話天下茶屋二九一三番/印刷者 大阪市西淀川区浦江上二丁目 合同印刷所 田中鉄男

もくじ

緒言「謹んで昭和第十年の迎春の辞を申述候」

新潟県北魚沼郡堀之内村の話 ・・・・・・ 45

茨城県東茨城郡山根村の話 ・・・・・・ 57

昔ばなし ・・・・・・ 65

編輯後記 ・・・・・・ 87

【参考】緒言

謹んで昭和第十年の迎春の辞を申述候

 九年の後半期に於て、私のかぎりなくうれしかつたのは十月二十七日の朝でした。突然柳田国男先生からお電話がかゝり、今日帝塚山の女子専門学校に於て講演するために来阪し、久し振りに会ひ、又いろ〳〵紹介したき人もあるから是非来いとの事でした。東京の砧村の先生の書斎を最後にお訪ねしてから早や四年の昔となつてゐまして、今日の電話で先生のお声を聞いた喜びは非常なものでした。早速出かけて先生の日本民俗学の提唱なる講演を聞きました。平林治徳や魚澄教授、岩倉市郎、藪重好氏にも紹介され、それより先生の自動車に岩倉、藪、水木君と同乗さしてもらひ若松町大阪地方裁判所所長の官邸に桜田勝徳君を訪づねられ、我等を紹介せられた。桜田君は所長の令息で、かねてより九州の島々の民俗に詳しく最近「漁村民俗誌」を著はされてゐる人である。こゝで御馳走になつて九時すぎに至るまで先生を中心にいろ〳〵と話を承りました。その折大阪を中心に民俗学に志を同くする人々が月に一回の会合をしてはどうかとの言葉がありました。これが動機となつて、「郷土和泉」の小谷方明君、「口承文学」の宮本常一君、南要、鈴木東一、杉浦瓢の諸君が今までやつてゐられた例会に、桜田、岩倉君と私とが、浜寺の海の家になごやかな一日を過したのは十一月十一日の日曜日でありました。次回をこの十二月十六日に小生の宅で開く話が纏り、同学の人々を更に加へて行く事になつたのであります。

 第二号は村の話二つと昔話を載録しました。新潟県北魚沼郡堀之内村龍光の話は、目黒省平氏夫人よね子氏の談である。昭和六年私が開業した始めより令息智郎貞雄両君を診察した事が動機となつて、親戚の人々の様な心安さを以て往き来してゐたのですが、今秋、夫君が住友アルミニユーム製錬会社に転じられて、愛媛県磯浦に転住せられましたが、今後も手紙でこの話をつゞけて下さる事になつてゐるので、第一回としてこゝに載録さして貰ふ事にしました。第二の茨城県の話は東京在住の頃知り合ひとなつた木村亥之吉老人の郷里の話を筆記したもので、大正十五年から昭和三年の間にかきとつたものであります。昭和二年六十四才でありました。第三の昔ばなしは頁数の関係で三〇番に止めました。

   (昭和九年十二月三日)

3号(昭和108月)

ノンブルは通し番号。本号掲載の記事はいずれも聞き書き。奥付は次のとおり。

五倍子雑筆第三号/昭和拾年八月一日印刷/昭和拾年八月五日届出/【非売品】/発行兼著者 大阪市西成区玉出本通一ノ一二 澤田四郎作 電話天下茶屋二九一三番/印刷者 大阪市西淀川区浦江上二丁目 合同印刷所 田中鐵男

もくじ

緒言「暑中御伺申上候」

新潟県北魚沼の話(つゞき) ・・・・・・ 87

長野県東筑摩郡の話 ・・・・・・ 113

マノフイカ考 ・・・・・・ 116

消息欄

【参考】緒言

  暑中御伺申上候 澤田四郎作

 五倍子雑筆第三号は、目黒省平氏夫人よね子氏の続きを掲載した。これは磯浦に移転されてからの信書の報復でお願いした返書をなるべく言葉を変へぬ様にまとめて見たのである。質問の項目も今回は郷土生活研究採集手帳の項目を参酌した。夫人は最近御嬢さんを出産せられたので、こうした御多忙中にも不拘わざ〴〵御回答をして下さつた事は誠に感謝に堪えぬ次第であります。

 第二の東筑摩郡の話は、私が大学の教室に居た頃の小使藤野徳次郎老の話を筆記しかけたものです。藤野老は酒が好きで、いつも当直の夜は赤い顔をして教室の玄関にがんばつてゐた。珍しく蒼い顔をして、煎じ薬を火鉢にかけ、わしはもう酒を止めましたといふ。どうしたかと聞くと、どうも身体の具合が悪くて元気がありませんといふ。私はその晩は雑談だけして帰つたが、それから間もなく藤野が大学の内科へ入院した事を聞いたが、それから間もなく亡くなつた。昭和三年三月五日の私の日記には、「早朝より降雪、教室の小使藤野徳次郎大学病院で死亡。夜秋葉朝一郎と屍体室に行つて焼香す。」と書いてある。宗賀村の話は同村出身の田中国男博士の談で、同君は目下宇都宮県立病院の小児科長である。同地方の話といふのでこゝに挿入した。

 前回の昔話の続編はこんど発行されたる昔話研究といふ雑誌に発表する積りで、今回はその代りとして、マノフイカ考と題した一篇を掲載しました。これは以前日夏耿之介先生の監修の「游牧記」、「戯苑」や東京帝大医学部雑誌「鐵門」に発表したマノフイカ考の旧稿を纏めて見たもので、昭和十年六月十七日金曜倶楽部に於て講演した筆記であります。

  昭和十年五月一日   五倍子生

45号(昭和117月)

ノンブルは通し番号。本号掲載の記事はいずれも聞き書き。奥付は次のとおり。

五倍子雑筆第四、五号/昭和十一年七月一日印刷/昭和十一年七月五日届出/【非売品】/発行兼著者 大阪市西成区玉出本通一ノ一二 澤田四郎作 電話天下茶屋二九一三番/印刷者 大阪市西淀川区浦江上二丁目 合同印刷所 田中鐵男

もくじ

カザのこと ・・・・・・ 146

山での事を忘れたか ・・・・・・ 163

 ※ 目次(表紙裏)では「山での事を申そうか」

渡来植物の方言と禁忌 ・・・・・・ 174

女性とタブー ・・・・・・ 182

民俗資料

 岩手県 ・・・・・・ 193

 山形県 ・・・・・・ 194

 秋田県 ・・・・・・ 198

 群馬県 ・・・・・・ 199

 福島県 ・・・・・・ 200

 茨城県 ・・・・・・ 200

 千葉県 ・・・・・・ 201

 栃木県 ・・・・・・ 204

 東京府 ・・・・・・ 208

 山梨県 ・・・・・・ 219

 長野県 ・・・・・・ 219

 新潟県 ・・・・・・ 220

 静岡県 ・・・・・・ 223

 愛知県 ・・・・・・ 228

 三重県 ・・・・・・ 228

 岐阜県 ・・・・・・ 229

 奈良県 ・・・・・・ 234

 兵庫県 ・・・・・・ 243

 徳島県 ・・・・・・ 243

 愛媛県 ・・・・・・ 244

 香川県 ・・・・・・ 245

 広島県 ・・・・・・ 245

 鳥取県 ・・・・・・ 247

 宮崎県 ・・・・・・ 249

 岡山県 ・・・・・・ 250

消息欄

【参考】「民俗資料」

次の各地の資料は主として、東京の医局時代に、日常の話し合ひの折とか、歩いて見聞した小さい資料をノートのはしにかきつけてあつたものを、散失をおそれて、大阪に来てからの多少の追加を加へて自分のために集めたものです。(p.193

6号(昭和131月)

ノンブルは通し番号。本号掲載の記事はいずれも聞き書き。奥付は次のとおり。

五倍子雑筆第六号/昭和十二年十一月二十日印刷/昭和十三年一月一日届出/【非売品】/発行兼著者 大阪市西成区玉出本通一丁目十二 澤田四郎作 電話天下茶屋二九一三番/印刷所 大阪市此花区亀甲町二丁目六二 小林印刷所 電話福島一六三三番/印刷者 小林積造

もくじ

愛知県北設楽郡中在家の花祭見学 ・・・・・・ 252

雑記帳 ・・・・・・ 291

私の日記

 五倍子居芳名録(第三回つづき) ・・・・・・ 310

 消息 ・・・・・・ 314

索引 ・・・・・・ 318

7号『飛騨採訪日誌』(昭和135月)

奥付は次のとおり。

五倍子雑筆第七号(二重線抹消)(飛騨採訪日誌)/昭和十三年五月十日印刷/昭和十三年五月二十五日発行/【非売品】/発行兼編者 大阪市西成区玉出本通一丁目十二 澤田四郎作 電話天下茶屋二九一三番/印刷所 大阪市此花区亀甲町二丁目六十二 小林印刷所 電話福島一六三三番/印刷者 大阪市此花区亀甲町二丁目六十二 小林積造 電話福島一六三三番

もくじ

乗鞍岳山脈図 ・・・・・・ (1)

写真図版 ・・・・・・ (1)

飛騨採訪日誌 ・・・・・・ 1(353)

飛騨採訪日誌索引 ・・・・・・ 84

五倍子雑筆第七号正誤表

奥付

【参考】後記

高山では江馬修御夫婦、村田祐作氏、瀬川良三氏、瓜田村では松岡浅右衛門御一家にいろ〳〵とお世話になつた。殊に採集の誤聞とおぼしき点を手紙で照会せし事が動機となつていろ〳〵の資料を再三再四教示をうけた。これらは日記文のうちに挿入して纏めたものがこの小冊子である。江馬氏の照会で泊めてもらつた白川屋旅館も大変居心地のよい家であつたこともこゝに併せて書きしるします。/(昭和十三年四月二十六日初校の日)

8号『続飛騨採訪日誌』(昭和141月)

奥付は次のとおり。

五倍子雑筆第八号(続飛騨採訪日誌)/昭和十三年十二月二十日印刷/昭和十四年一月一日発行/【非売品】/発行兼編者 大阪市西成区玉出本通一丁目十二 澤田四郎作 電話天下茶屋二九一三番/印刷所 大阪市此花区亀甲町二丁目六十二 小林印刷所 電話福島一六三三番/印刷者 大阪市此花区亀甲町二丁目六十二 小林積造 電話福島一六三三番

もくじ

口絵写真

続飛騨採訪日誌 ・・・・・・ 1(437)

丹生川昔話集(松岡浅右衛門・松岡つぎ・松岡みか子) ・・・・・・ 85(521)

後記 ・・・・・・ 164(600)

奥付

9号『手向草』(昭和146月)

澤田四郎作の妻国枝没「百日の紀念に編ん」だ一書。享年39玉出澤田四郎作宅(五倍子居)を往来した人びとが追悼文を寄せる。柳田國男の序文「追思録その他」は『柳田國男全集』30巻(筑摩書房2003p,187)および『定本柳田國男集』23巻(筑摩書房1964p.454)に収められている。

同書「忌中日記」には、通夜・弔電・弔問・弔詞・告別式参列者等が多数列記されており、そのなかには澤田が師事していた柳田國男や渋澤敬三の名が見える。佐藤健二柳田国男の歴史社会学続・読書空間の近代』(せりか書房2015)は、澤田家の、知の交錯地点としてのありようについて分析しているが、柳田の木曜会と澤田家の「場」の特徴的な差異として、四郎作の妻国枝の存在を挙げている(p.349)。

奥付は次のとおり。

五倍子雑筆第九号(手向草)/昭和十四年六月一日印刷/昭和十四年六月廿日発行/【非売品】/発行兼編者 大阪市西成区玉出本通一丁目十二 澤田四郎作 電話天下茶屋二九一三番/印刷所印刷者 大阪市此花区亀甲町二丁目六十二 小林印刷所 小林積造 電話福島一六三三番

もくじ

口絵写真

 追思録その他(柳田國男) ・・・・・・ (1)

追悼文集

 五倍子君夫人の逝去を悼む(内藤吐天) ・・・・・・ 1

 追悼(真鍋清明) ・・・・・・ 2

 手向草に寄す(遠藤卓夫) ・・・・・・ 3

 夫人の追憶(秋葉朝一郎) ・・・・・・ 5

 (無題)(土田輝子) ・・・・・・ 9

 東京巣鴨の頃から ・・・・・・ 11

 (無題)(市口まさ子) ・・・・・・ 13

 澤田博士夫人を偲びて ・・・・・・ 15

 (無題)(目黒よね子) ・・・・・・ 17

 奥さんの追憶(後藤捷一) ・・・・・・ 20

 澤田先生御令室の訃に接して(大江平次郎) ・・・・・・ 23

 奥様の思ひ出(赤司健之) ・・・・・・ 24

 追想(宮本精一) ・・・・・・ 27

 涅槃西風(小谷方明) ・・・・・・ 28

 奥様(玉岡松一郎) ・・・・・・ 31

 奥様を誅びて(大江美也子) ・・・・・・ 33

 澤田夫人を悼む(岩泉千真伎) ・・・・・・ 34

 悼 澤田夫人(岩泉千真伎) ・・・・・・ 36

 澤田先生御夫人を想ふ(横井照秀) ・・・・・・ 37

 悼(小林存) ・・・・・・ 40

 おちがひその他(鈴木太良) ・・・・・・ 41

 (無題)(辰巳利文) ・・・・・・ 43

 澤田國枝様を悼む(佐野茂憲) ・・・・・・ 44

 故人を偲びて(片岡長治) ・・・・・・ 45

 澤田博士夫人を想ふ(加納元信) ・・・・・・ 49

 奥様の思ひ出(宮本常一) ・・・・・・ 53

 奥様(鈴木東一) ・・・・・・ 64

 私の思ひ出(栗山一夫) ・・・・・・ 66

 (無題)(桜田勝徳) ・・・・・・ 71

 澤田先生御夫人を悼む(岸田定雄) ・・・・・・ 73

 その頃の思ひ出(蓮井平一) ・・・・・・ 77

 亡き夫人を偲ぶ(岩倉市郎) ・・・・・・ 79

 (無題)(平山敏治郎) ・・・・・・ 82

 かなしくも懐ふ(橋浦泰雄) ・・・・・・ 84

 よき夫婦(井葉野篤三) ・・・・・・ 86

 写真(伊藤櫟堂) ・・・・・・ 89

忌中日記 ・・・・・・ 91

戸倉峠 ・・・・・・ 187

後記 ・・・・・・ 268

奥付

【参考】後記

 妻を亡くしてやつと百日。悲歎の極みにあつた私もやつと勇気をとりもどしました。その間皆様からの御同情をしみ〴〵うれしく存じました。故人追悼の小冊子を百日の紀念に編んで、皆様のお手元にお届け致します。

 三年まへ私の生活もやつと目鼻がつきまして、私が五十歳まで熱心に家業に従事し、それからは医業を廃業して再び東京に出て民俗学を専心勉強する事に生活方針を妻と相談したのでした。私は熱心に家業を守り、妻は家の経済を出来るだけきりつめて、この方針を実現すべく、着々と準備してゐました。私が正月の休暇を利用して一年の一回の旅行を心からすゝめてくれたのも、小冊子を作る事も、妻が心から許してくれたものでした。又、これとても短時日のことで纏つたものでもなく、又、民俗学界に貢献しようといつた大それた野望があつたわけでもなく、この冊子を出す意義はたゞ私が五十歳になつた日に、この学問への感激のなくなつた場合をおそれたからであります。つまり私がこの学問に専念し得る日までこの学問への熱がなくならないためでした。妻がいつも纏りのない小冊子を作りたがる私をいましめて、おちついてもつと立派な本をお作りなさいと反対しつゝも、心よくこの私の小冊子の印刷をゆるしてくれたわけです。家内も十年間あまりの東京時代には凡んど東京の市中も知らずに生活してゐたので、十年の後に東京に住む様になつたら、方々を歩るいてみたいなどゝ語り合つたのも今ははかなき夢となつてしまひました。

 この追悼録に加へた戸倉峠はいろ〳〵の意味に於て私の思ひ出の種です。元気があまりよくないので妻に気がねして、今年の正月の旅行を止そうといつた時にも、私は元気だから行きなさいとすゝめてくれました。でも親類の者が来ると「うちの先生は大変親切で身体に気をつけてくれとやかましく言つてくれます。但しお正月の旅行が近づきますとね」などゝ冗談口をたゝいてゐました。親子四人揃つておぞうにを祝つたことも今年が最後でした。熱もなく起きてゐましたが大変疲れ易い様子でしたので、私が山の中を歩るいて三日目に池田郵便局にたどりついてまづ第一に家へ電報を打ち、予定を一日早めて帰つたのも家内の健康を案じてゐたためでした。帰つてみると案外元気でもう一両日延ばして帰られたらよかつたのになどゝ言つてくれてゐましたが。

 すべてが私にとつて深刻な思ひ出です。

10号『うつしばな』(昭和188月)

口絵写真に釈迢空折口信夫)色紙・樋畑雪湖色紙。折口色紙は現在、澤田家が所蔵する。奥付は次のとおり。

五倍子雑筆第十号(うつしばな)/昭和十六年三月三(「十三」に墨書訂正)日印刷/昭和十六年三月十三(「十八」に墨書訂正)日発行/[第 号]/発行兼著作 大阪市西成区玉出本通一丁目十二 澤田四郎作 電話天下茶屋二九一三番/印刷者 大阪市此花区亀甲町二丁目六十二 小林積造 電話福島一六三三番/この書を釈尼妙國の三周忌にあたり有縁の人々にくばる

もくじ

口絵図版

序に代へて ・・・・・・ 1(678)

追憶の花 ・・・・・・ 12(689)

善光寺にて ・・・・・・ 22(699)

みかへり草 ・・・・・・ 27(704)

続丹生川昔話集 ・・・・・・ 33(709)

飛騨丹生川昔話集(総目次) ・・・・・・ 121(797)

五倍子雑筆第九号正誤表

奥付

11号『異国より帰りて』(昭和2411月)

奥付は次のとおり。

昭和二十四年八月二十五日印刷/昭和二十四年十一月十一日発行/(非売品)/著作兼発行人 大阪市西成区玉出本通一丁目十三番地 澤田四郎作 電話天下茶屋二九一三番 振替大阪一〇四六一番/印刷人 堺市北向陽町二丁六四番地 意島久蔵/印刷所 堺市北向陽町二丁六四番地 双輪印刷株式会社 電話堺三一六四番一二六一番

枠外に「この書を志都子の二週忌に有縁の人々にくばる」。

もくじ

シベリア地図 ・・・・・・ (1)

まへがき ・・・・・・ 1(803)

年記は「昭和二十四年五月二十五日 五十一歳の誕生日を迎へて澤田四郎作識す」

第一部 北満黒河の頃

 植物方言に就て ・・・・・・ 14(816)

 北満の植物目録 ・・・・・・ 21(823)

 雁の渡り十七年十二月二日稿 ・・・・・・ 37(839)

 随筆山村記序 ・・・・・・ 38(840)

 歌集山爺集(昭和十六年) ・・・・・・ 40(842)

第二部 南満熊岳城の頃

 熊岳城温泉付近の土中文化遺物に就て ・・・・・・ 45(847)

 千秋萬歳瓦当を発掘一九年五月二〇日稿 ・・・・・・ 53(855)

 千秋萬歳瓦当出土状況 ・・・・・・ 54(856)

 歌集連翹の花 ・・・・・・ 56(858)

第三部 朝鮮の頃

 朝鮮の思ひ出 ・・・・・・ 57(859)

 身辺紛失雑記 ・・・・・・ 61(863)

第四部 捕虜となりて

 延吉(間島)の物価 ・・・・・・ 62(864)

 毛剃り ・・・・・・ 64(866)

 延吉日誌 ・・・・・・ 65(867)

 マホルカ ・・・・・・ 67(869)

 カチユーシヤ ・・・・・・ 68(870)

 ドロージ ・・・・・・ 69(871)

 過マンガン酸加里とバンケ ・・・・・・ 70(872)

 マノフイカと其 ・・・・・・ 71(873)

 シベリヤの花 ・・・・・・ 72(874)

 マーヤク号 ・・・・・・ 73(875)

 尻つ尾を捕へられし話 ・・・・・・ 76(878)

 ロシヤ風呂 ・・・・・・ 76(878)

 往診 ・・・・・・ 77(879)

 夢 ・・・・・・ 90(882)

 小さきメモ ・・・・・・ 82(884)

 歌集氷下魚 ・・・・・・ 85(887)

第五部 帰国

 船中日記 ・・・・・・ 87(889)

 北槎聞略を読みて ・・・・・・ 88(890)

 『異国の丘』の作者 ・・・・・・ 91(893)

附 志都子の生ひ立ち ・・・・・・ 94(896)

五倍子通信 ・・・・・・ 95(897)

奥付

12号『熊岳城温泉付近遺跡の研究』(昭和261月)

扉題は「澤田四郎作著/南満熊岳城温泉附近遺跡の研究(抄)/(第一冊)/昭和二十六年一月一日刊 五倍子雑筆第十二号」。奥付は次のとおり。

昭和二十五年十一月三十日印刷/昭和二十六年一月元旦発行/(非売品)/著作兼発行人 大阪市西成区玉出本通一ノ十三番地 澤田四郎作 電話天下茶屋二九一三番 振替大阪一〇四六一五番/印刷所 大阪市福島区亀甲町二丁目六二番地 日本印刷出版株式会社 小林積造 電話福島一六三三番

もくじ

五倍子短歌 ・・・・・・ (見返し)

正誤表 ・・・・・・ (貼り込み)

地図・写真

第一章 序説 ・・・・・・ 1(899)

第二章 遺跡地の地理と地形 ・・・・・・ 13(911)

第三章 遺跡の状態 ・・・・・・ 16(914)

第四章 土器類(遺物一) ・・・・・・ 23(921)

第五章 石器類(遺物二) ・・・・・・ 33(931)

第六章 骨角牙製品 ・・・・・・ 38(936)

第七章 硝子、玉製品ソノ他 ・・・・・・ 40(938)

第八章 銅製品 ・・・・・・ 42(940)

第九章 古泉類 ・・・・・・ 45(943)

第十章 鐵器類 ・・・・・・ 52(950)

第十一章 結語 ・・・・・・ 55(953)

五倍子通信【二】 ・・・・・・ 60(958)

奥付

13号『シベリヤ日記』(昭和2910月)

口絵写真は釈迢空折口信夫)色紙で、現在は大阪大谷大学澤田文庫が所蔵する。序文は風流易米叟(日夏耿之介、「叙/……/昭和二十九年六月二十七日 於東都阿佐ヶ谷榴花深処 風流易米叟」)。表紙題字は安江不空筆。奥付は次のとおり。

「シベリヤ日記」/大阪市西成区玉出本通一丁目十三番地 澤田四郎作著 電話天下茶屋二九一三番/昭和二十九年十月一日発行/印刷 大阪市福島区亀甲町二丁目六十二番地 日本印刷出版株式会社 小林積造 電話土佐堀六五九四番/(非売品)

もくじ

口絵写真

序 ・・・・・・ 1(961)

まへがき ・・・・・・ 2(962)

第一部 ラーゲルの窓より

 入ソするまで ・・・・・・ 9(969)

 浦塩 ・・・・・・ 13(973)

 アルチヨム ・・・・・・ 17(977)

 タウリチヤンカ ・・・・・・ 23(983)

 カーヤク号 ・・・・・・ 46(1006)

 ウリス ・・・・・・ 91(1051)

 ウリス病院 ・・・・・・ 106(1066)

 ナホトカ ・・・・・・ 116(1076)

 挿図説明(その一) ・・・・・・ 127(1087)

第二部 ロシヤ民俗

 ザフトラ ・・・・・・ 131(1091)

 カチユーシヤとマホルカ ・・・・・・ 136(1096)

 馬鹿握り(マノフイカ) ・・・・・・ 141(1101

 厠 ・・・・・・ 145(1105)

 入墨 ・・・・・・ 149(1109)

 嚏(チイハーニエ) ・・・・・・ 152(1112)

 罵語(ヨツボイマーチ) ・・・・・・ 155(1115)

 手相 ・・・・・・ 157(1117)

 紙を食ふヤポンスキー ・・・・・・ 158(1118)

 南京虫としらみ ・・・・・・ 160(1120)

 足布(ポルチヤンキ) ・・・・・・ 163(1123)

 おたふくかぜ(スビンカ) ・・・・・・ 165(1125)

 吸ひさしをよこせ(ダイ ソーロク) ・・・・・・ 168(1128)

 靴屋 ・・・・・・ 169(1129)

 黒パン ・・・・・・ 172(1132)

 死の象徴 ・・・・・・ 175(1135)

 ロシヤ人と髭 ・・・・・・ 178(1138)

 長寿者 ・・・・・・ 181(1141)

 算数 ・・・・・・ 188(1148)

 ダバイといふ言葉 ・・・・・・ 191(1151)

 ウオツカとドロージ ・・・・・・ 193(1153)

 聴診器 ・・・・・・ 197(1157)

 吸角と(バンケ)霊薬 ・・・・・・ 202(1162)

 算盤 ・・・・・・ 205(1165)

 米とロシヤ人 ・・・・・・ 206(1166)

 指のシンボル ・・・・・・ 208(1168)

 シベリヤの花 ・・・・・・ 210(1170)

 ロシヤ語と笑ひ ・・・・・・ 213(1173)

 挿図説明(その二) ・・・・・・ 217(1177)