なら学研究会

奈良女子大学文学部「なら学プロジェクト」のワーキンググループ「なら学研究会」の活動報告。奈良の研究史・研究者の回顧・再評価をおこなっています。

澤田四郎作『日本生殖器崇拝概論』(私家版、大正11年5月)

澤田四郎作にとって最初の刊行物になる。澤田が「生殖器崇拝」に興味をもったのは、六高時代にあったらしい。

六高時代はマンドリンをやったが、どうしたことからか人魚の伝説に興味を持ち、文献など漁っていた。寮生活で東北出身の三浦義路(東京瓦斯重役)から道祖神を話をきかされたのが動機となって、この方面に熱中してしまった。澤田四郎作「柳田先生の思い出」、『近畿民俗』31・32合併号、近畿民俗学会、1962.12)

道祖神のような生殖器崇拝の実際については、たとえば澤田家に遺されている、六高を卒業した大正10年からの『道祖神調査資料』などの分析を待ちたい。

大正十一年ころに大阪の古書店天牛書店で同書を求めた水木直箭は、のちに同書を次のように紹介している。

ぴんく色の表紙で、赤く三角に切り抜いた西瓜の中に、髪を振り乱した裸形の女が跪いて、両手を合せて拝んでゐる姿が描かれてゐる。後で聞くと、この本は珍本になつてゐるやうである。沢田君は、あなやうな、あちらこちらからの抜き書き見たいなもので、著作になるものと当時考へてゐたことが若気の至りで恥しいとて、未製本のものなど焼き棄てゝ了うたさうで、私がそれを所蔵してゐることを余り嬉しがらない風であった。

(「沢田君との出会ひ」、『沢田四郎作博士記念文集』、沢田四郎作先生を偲ぶ会、1962、p.71)

澤田からすれば興味の範疇でおこなったものゆえの「恥し」さなのであろうが、同書扉に「この小著を郡山中学・大阪医科大学・第六高等学校時代の旧友に捧ぐ」とあって、その興味を支えてくれた澤田の人的環境あっての書物でもあった。

さて、この書物の刊行について、「私が民俗学に入るまで―後藤氏の学恩―」後藤捷一『祖谷山日記』、大阪史談会、1962)に次のようにある。

大正十一年五月、私は母のへそくりをねだって、石神に関する小著を印刷した。五百部註文したのに二百部だけしか印刷してをらず、製本も十冊あまりであとはそのまゝであった。当時法学部の学生だった蓮井平一君(後に北海道拓殖銀行専務)が大いに法律知識をふりまはして、未成本のものを受けとってくれた。私はその書名をいふのも気恥しくて殆ど燃やしてしまったが、この小冊子が因縁となって、爾来四十年にわたる後藤捷一氏の学恩を限りなく身にうけるに至ったのである。私には忘れられない思ひ出である。

ここでいう小冊子の「因縁」とは次のようなものであった。続きを引用する。

曩日、書庫を整理してゐると、後藤捷一氏がこの小冊子を読まれて、かうした方面の研究には、既に柳田國男先生の『石神問答』や、出口米吉先生の『日本に於ける生殖器崇拝概説』などがある事を教へて下さった手紙が出て来た。この手紙の末尾に、私の亡くなった長兄が赤インクで「これは父の鞄から偶然出て来たが、多分父が心配して隠して置かれたものらしい。今日改めて送るから、後藤氏へ礼状の遅れを何か理由をつけて出しなさい。父はあまり熱中して医学の勉強をやめるんぢゃないかと心配してをられるから、この方はほど??にして医学を勉強する様に」と朱記されてある。大正十三年に Phallus-Kultus といふ個人雑誌(大正十五年第十五号で中止)を出し、後藤捷一氏に教へられた柳田國男先生のもとにお伺ひする事になって、道草ばかり食った私の歩んでゆく道をはっきりと決めて下さったわけである。

『日本生殖器崇拝概論』扉に「東京帝国大学医学部学生 澤田四郎作/日本生殖器崇拝概論」とあるので澤田は東京在であったのだが、後藤が奈良五位堂の実家に手紙を出したのは奥付に理由があった。

大正十一年四月廿五日印刷/大正十一年五月一日 (定価壱円)/著作兼発行者 奈良県北葛城郡五位堂村 澤田四郎作/印刷者 東京市巣鴨町一一六四 吉長五郎/発行所 奈良県北葛城郡五位堂村 澤田四郎作方/発売所 三省堂 文武堂 稲門堂

※枠外に「咬明社印刷所」

先に引用した同書作成状況にあって、奥付刊記「発売所」の「三省堂」「文武堂」「稲門堂」にどれほど流れたのかは分からないが、後藤が同書を手にしたのは寄贈などではなく、自らによる入手によってであったようだ(小売書店等でなのか澤田からの直接入手なのかは分からない)。「訪問控え帖1 無代贈呈の本が四十円に吃驚」(『本』、昭和11年4月10日号)で澤田は次のように述べている。*1

私の処女出版とも云ふべきは大正十年頃、まだ大学の二年に居つた頃だと思ふが『日本性殖器崇拝概論』と云ふのでした。本の題では素晴らしく立派さうに思はれるが、中味は夫れ程のものはなく此の本を一本求めて下すつた奇篤の士が今の後藤捷一君で、君の紹介で、性研究の出口米吉氏を知り、出口氏の旧著を見せて貰つて、自分のものの遥かに及ばない、深い研究が出来てあるのに汗背した事です。

澤田自身による『五倍子執筆目録』大阪大谷大学澤田文庫)によれば、昭和2年11月20日に「柳田国男先生を砧村の書斎に始めて訪問」したとあるが、柳田との交際はそれ以前からあった。たとえば同資料大正15年5月27日条に「北方文明研究会ニ出席。柳田、金田一、桑原、杉山、伊波」とあるほか、大阪大谷大学澤田文庫所蔵『日誌』大正15年12月7日条には、

夜、京橋近くの千代田館内富士見軒の第二回吉右会に列す。会費三円。柳田国男先生、早川孝太郎中山太郎金田一京助、岡村千秋、泉鏡花伊波普猷、中田千畝、今和次郎、有垣喜左衛門、久保栄等の諸氏を始め二十七八名。柳田先生の吉右会の由来を簡単に述べられr、つゞいて早川氏の三河の田楽とはなまつりの話あり、実物の呈示あり。きつちよむ話から説話分類法に関する意見をきかる。

などとある。記録から見るかぎり、柳田と知り合いになったのは大正15年頃のようであるが、そのきっかけとなったのが澤田の最初の刊行物である本書であった。

序文(原文のママ)

 一九二一年の秋、余病を得て、病院生活を送る事二旬有余、漸く病癒えて故里に帰り、専ら病後の保養につとむ。終日、無為、語る友なし。淋しきまゝに、日頃余暇を求めて、研究し来りし資料の空しく、塵中に委せられあるを思ひてその整理を始む。爾来こゝに二箇月、漸く第一回の整理を了る。即ち之なり。

 惟ふに、生殖器崇拝たるや、人類創生の昔、太陽崇拝と共に、人類の二大信仰たりき。洋の東西を問はず、文化発達の程度を論ぜず、之をあらゆる民族の上に求むべく、遺物遺跡は、人類学、考古学、宗教、歴史学上の研究と相倚つて、之を照明すべし。

 巴里ルーブル博物館、伊太利ネーブル市の王立博物館の一部、ポンペイの遺跡を訪れんか、世界創生以来の生殖器の信仰の遺物を眼前に見るに及んで、首肯すと云ふ。

 げに、燦然たる希臘の文化は、フアリコスより発し、深遠なる印度文明は、リンガより生ぜり。

 由来、生殖器崇拝の研究たるや、人類学、考古学、宗教、歴史学上に密接なる関係を持し、文化の発達に伴つて変化し来つた、思想の流動を知る上に必要なるものなり。

 然りと雖も、世人之を看過一顧せざる者多し。余茲に思考する所あり。且は、迷信者の覚醒を促さんとして、この小著を公にす。

 雄々しき信念に鞭たれ、図書館にありては、広く文献を漁り、余暇を求めては、単身その遺跡を訪ね、土地の長老を訪ねて、その伝説に耳を傾け、遺跡をカメラに収め、或は遺物の蒐集に志せり。

 猛夏、長里を抜渉して薄暮人家にたどり着き、一夜の宿を乞へる事もありき。

 余、茲に、日本生殖器崇拝を記述せしと雖も、元より非才その器にあらず、誤謬又多からん事を恐る。願はくば、博学の諸兄の御教示を垂れ給はん事を乞ふ。

 余、これを機とし、大阪医科大学、第六高等学校時代より研究し来りし、「人魚の伝説」「毛髪の伝説」「迷信の研究」「合図の研究」「呪の研究」「文身の研究」「飲酒」の資料を整理し、順次公にせんとす。茲に諸君の援助を乞ふ。

 終りに、この書を公にするにあたり、畏友九州帝国大学学生橘亮吉、同田中実、東京帝国大学学生森本猛夫、京都帝国大学学生鎌野忠雄、同村田定、第六高等学校生徒村山重忠の諸兄及間接直接の便宜を与へられし諸彦の好意を感謝す。

 大正十一年一月 梅咲く故里にて/著者しるす

例言

  例言

□高等学校時代から蒐集し来つた資料を纏めたのが是である。元より完成されたものではない。他日之を完成補足するつもりである。この未完を公にする厚顔無恥を咎めず、諸君の一顧を賜はらば幸甚の至りである。

埃及、印度、諸蛮族の生殖器崇拝も文献によりて多少研究せしも、都合によつて之に言及しなかつた事を謝す。

□自己の撮影蒐集せし資料可なりあるも全部之を公開し得ないのは遺憾である。こゝに掲載せしはその一班である。

□本書を出版するについて、いろ〳〵奔走してくれた畏友、東京帝国大学学生森本猛夫君、資料の蒐集については、米沢源三郎氏に感謝して止まない。

  大正十一年一月

もくじ

序 ・・・・・・ 1

(目次) ・・・・・・ 1

緒論

 創生人類の驚異 ・・・・・・ 1

 宗教と性慾 ・・・・・・ 5

 諸民族の生殖器崇拝 ・・・・・・ 10

本論

 性的神話と生殖器崇拝 ・・・・・・ 13

 仏教渡来と生殖器崇拝 ・・・・・・ 19

 現代の生殖器崇拝 ・・・・・・ 54

 信仰の変遷 ・・・・・・ 60

 陰陽石 ・・・・・・ 74

 結語 ・・・・・・ 79

附録

 性的神祠巡り ・・・・・・ 1

 性的神話 ・・・・・・ 17

 朝鮮の生殖器神 ・・・・・・ 20

 大男根の伝説 ・・・・・・ 22

 百大夫 ・・・・・・ 24

 陰茎包皮切断 ・・・・・・ 26

*1:澤田四郎作談話筆記。大阪大谷大学澤田文庫所蔵のスクラップブック『澤田四郎作文集1』貼付の記事による。