なら学研究会

奈良女子大学なら学研究センターのワーキンググループ「なら学研究会」の活動報告。奈良の研究史・研究者の回顧・再評価をおこなっています。

【21】浅田隆:奈良 文学の小窓からの風景

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【講師】浅田隆氏(奈良大学名誉教授)

【演題】奈良 文学の小窓からの風景

【日時】2018年6月17日(日)14:00-16:30

【会場】奈良女子大学 文学系N棟3階 N339教室

【参加】8名

【開催文】

奈良・大和の郷土研究を回顧・再評価するなら学研究会(第21回)を開催します。今回は、近代文学に焦点をあてておこないます。

近代以降の奈良における文学や文学者の重要性は、きわめて大きいものがありました。そしてそれは近代日本の自己認識にとっても大きな役割を果たしましたし、奈良という地により近づけて述べれば、様々な領域の文化人たちとの知のネットワーク形成において不可欠な役割を果たしたといえます。

こうした点について、近代奈良・近代日本を文学・文学者を通して研究され、この領域を俯瞰する『奈良近代文学事典』という重要な業績を生み出してこられた浅田隆先生をお招きし、近代奈良にとって文学や文学者とはどういう存在であったのかについてお話いただきます。

【参加記】

開催文末尾にあるように、研究会では浅田先生に「近代奈良にとって文学や文学者とはどういう存在であったのか」という問いを事前に投げかけたのだが、先生によれば、これは検証するのが難しい問題であるという。農業や林業など生産県(圏)である奈良における〈文学〉の位相、また近世や近代の〈歴史〉が古代・中世のそれにくらべて軽視されがちな土地柄にあって〈文学〉を実践するという気概や心性に属する問題であるからだ。そこで浅田先生は我々の問いかけをずらし、「近代文学にとっての〈奈良〉とはどのような存在であったか」と問うてお話くださった。森鷗外会津八一、井上靖など多岐にわたった事例をうかがいながら、わたしは北村信昭のエッセイ「小説に出てくる『奈良』—近作三篇を中心として—」(『浅茅』2巻2号、昭和8年4月)を思い出した。奈良に生まれ育った北村は、昨今の奈良における小説文壇に「地が生み地に育つた一人の作家も持たぬ」と嘆いて「地が生み、地で育つたものの情熱で奈良が書かれるのは何時のことであらう」と述べていたのだが、〈奈良〉は外部の者(よそもの)だからこそ発見・感動しえたのであって、奈良が当たり前にある内部の者(とちもの)にとって〈奈良〉は生まれにくいのかもしれない。

研究会では「様々な領域の文化人たちとの知のネットワーク形成」についてもお話いただいたが、〈文学〉実践と奈良経済の問題のかかわりが興味深かった。「文化人とパトロン」問題は澤田四郎作においても浮上してきたが、吉野林業の影響力を今回あらためて認識したのであった。

ここには書けないお話もあり、興味のつきない3時間であった。