なら学研究会

奈良女子大学なら学研究センターのワーキンググループ「なら学研究会」の活動報告。奈良の研究史・研究者の回顧・再評価をおこなっています。

【27】なら学研究会 現地講義

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講師の桂美奈子氏
  • 日時:2020年1月26日(日)14:00〜16:00
  • 場所:藤影堂(奈良市不審ヶ辻子町
  • 講師:桂美奈子氏(藤影堂管理者)
  • 出席:4名

大正年間から昭和40年頃まで、奈良の工芸・美術・民俗文化などの発掘・出版活動をおこなった組織「大和史蹟研究会」の活動拠点であった藤影堂を訪問し、関連資料の閲覧と、藤影堂の現管理者・桂美奈子氏に、その歴史や中心人物であった藤田博介氏や交友関係について語っていただきました。

桂さんは、奈良まちづくりセンターの奈良町再発見運動に初期から携わってこられました。その活動は多岐にわたっていますが、ガイドブック『奈良町物語』(奈良まちづくりセンター、1991.6)はその大きな成果の一つです。「当時、奈良といえば古代平城京時代の歴史がすべてで、中・近世の歴史にはほとんど光が当てられて」いないなかで、「地域住民や奈良市民の記憶から消え去って」しまったことがらを再発見することから始まったと言います(木原勝彬「あとがき」)。

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『奈良町物語』表紙。横井紘一氏画。

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まちづくり運動の報告書。表紙下部の「社団法人」に注目。まちづくり団体が法人格を取得した最初の例である。

お話をうかがうなかで桂さんがお書きになった「わたしの奈良町」(『地域創造』29、1996.2)をいただきましたが、末尾に興味深い一文があります。

『風景』という言葉は捉えどころがありません。「風景論」などとは無縁な一住民の私にとって、風景はあくまで個人的な思い出や生活とつながる「私景」でしかないのです。しかし奈良という類まれな土地に住んでいる以上、一人一人が風景に対してそれなりの責任感や緊張感を持って暮らしていきたいと考えています。

奈良で生まれ育った桂さんにとって、興福寺の見える景色も、街のざわめきも、四季の色もにおいも、「私景」の一部でしょう。近代奈良県の出版流通史を考えるうえでは重要な位置にいる藤田嘉平治・博介の両氏も、桂さんにとってはひいおじいちゃんとおじいちゃんです。でも、「私の知っているところでは」と前置きしながら語られるその「私景」が聴き手のなかで「風景」に変わることをご存じなのだと、まさに「責任感や緊張感を持って」お話くださっているのだと、ひしひしと伝わってきました。

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「大和史蹟研究会」看板。現在の入り口にかかっていたという。

桂氏の曾祖父にあたる藤田嘉平治氏が書店を開業したのは明治35年のこと。その後、大正14年に文進堂木原近蔵と合併して合資会社を設立。昭和4年には株式会社となりますが、桂氏のご祖父、藤田博介氏がその常務取締役に就任します。その少し前、大正13年に大和史蹟研究会を創設主宰し、出版活動をとおして奈良県文化財の周知等に尽力しました。当日は、その時々を記録した写真、出版物を拝見。若きころの池田小菊の写真もありましたが、桂氏がずいぶんかわいがってもらった思い出話もうかがい、文献をとおしてしか知らなかった人物や景色が、立体感をもって想起されるのでした。

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藤田嘉平治氏胸像。裏面に「贈奈良市有功者/市会議員藤田嘉平治君/昭和十二年三月/奈良市長石原善三郎」。