なら学研究会

奈良女子大学なら学研究センターのワーキンググループ「なら学研究会」の活動報告。奈良の研究史・研究者の回顧・再評価をおこなっています。

【28】私が関わった最近の吉野研究点描——吉野宮・龍門騒動・群小猿楽座

 

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講師の池田淳氏
  • 日時 2020年2月23日(日)14:00〜16:30
  • 場所:奈良女子大学文学部N棟3階N339教室
開催文
 参加記

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当日のようす
池田淳氏は昨年まで吉野町歴史資料館館長をつとめられた。現在は大学で講師をされ、また金峯山寺文化財主任をつとめられている。
池田氏が関わってこられた調査研究の足跡を語っていただくことは、吉野研究や吉野と他地域の〈知〉のつながりをたどることにもなる、という研究会メンバーの発案で、氏にそうした主旨をお伝えし、語っていただくこととなった。研究会のこうしたわがままな要請にもかかわらず、池田氏はその主旨を理解してくださり、まさにそうした観点から極めて刺激的な研究史を語ってくださった
池田氏が選ばれたのは、吉野宮、龍門騒動、群小猿楽座の3つの研究についてである。限られた時間のなかで、それぞれを30分ずつ語ってくださった。それぞれ「別々の」研究ではあるのだが、研究史を辿る池田氏の語りによって、それらが、まさに「生きた」テーマであるという共通性が強く印象づけられた。それは新しい発掘の成果や新資料の発見、あるいは複数の資料を丹念に精査するなかから立ち上がってくる「像」である。吉野と大和がようやく「見えつつあるところなのだ」という印象を得て、研究会の空気は熱くなった。
質疑の時間に、参加者の一人から「池田先生の研究の最大の功績は吉野川の文化史的研究だ」との発言が出た。川をはさんで対岸との往来のなかで圏域を形成してきた特徴をもつ吉野川流域。そういえば龍門騒動研究に関する話も、群小猿楽座のなかで語られた美濃姓の系譜も、歴史研究の時間軸を、地域社会の空間軸へと面的に拡げていくような視点を池田先生の研究はもっている。質疑も尽きず、終了時刻はすっかり過ぎてしまった。

【2】なら学研究報告2号

以下のURLよりダウンロードしてお読みください。

『なら学研究報告』2号(奈良女子大学なら学研究センター、2020.3)

第28回なら学研究会のご案内

池田淳氏「私が関わった最近の吉野研究点描——吉野宮・龍門騒動・群小猿楽座」

奈良・大和の郷土研究・研究者について考える「なら学研究会」。第28回の今回は、吉野歴史資料館館長を勤められてきた池田淳(いけだ・きよし)氏をお迎えし、これまでの研究と吉野地域での活動をご自身で振り返って語っていただきます。

どうぞふるってご参加ください。

  • 日時 2020年2月23日(日)14:00〜16:30(予定)
  • 場所:奈良女子大学文学部N棟3階N339教室
講師の池田淳氏について

主な論文

  • 「大和の御田Ⅰ〈本人執筆分「吉野水分神社における御田の組織と演者」〉」(『埼玉大学紀要』49‐1、埼玉大学教育学部
  • 「大和の群小猿楽座と奈良阪の翁舞」(『奈良豆比古神社の祭礼と芸能』、奈良地域伝統文化保存協議会)
  • 「鼻と耳——前近代慣習法にみる身体器官の役割」(『王権と武器と信仰』、同成社
  • 「山田美濃大夫の後継者たち」(『勝部明生先生喜寿記念論文集』、同論文集刊行会)
  • 「年預の翁詞章の伝来」(『奈良県橿原考古学研究所論集』16、橿原考古学研究所
  • 大和国吉野山における演能と芸能集団」(『民俗文化の伝播と変容』、岩田書院
  • 「檜垣本猿楽」(『猿楽と面 大和・近江および白山の周辺から』、MIHO MUSEUM)
  • 「群小猿楽座の京都進出と芸能集団の解体」(『京都学研究と文化史の視座』、芙蓉書房出版)
備考

問い合わせ先 narastudy(a)cc.nara-wu.ac.jp (a)を@(半角)に変えてください。

【27】なら学研究会 現地講義

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講師の桂美奈子氏
  • 日時:2020年1月26日(日)14:00〜16:00
  • 場所:藤影堂(奈良市不審ヶ辻子町
  • 講師:桂美奈子氏(藤影堂管理者)
  • 出席:4名

大正年間から昭和40年頃まで、奈良の工芸・美術・民俗文化などの発掘・出版活動をおこなった組織「大和史蹟研究会」の活動拠点であった藤影堂を訪問し、関連資料の閲覧と、藤影堂の現管理者・桂美奈子氏に、その歴史や中心人物であった藤田博介氏や交友関係について語っていただきました。

桂さんは、奈良まちづくりセンターの奈良町再発見運動に初期から携わってこられました。その活動は多岐にわたっていますが、ガイドブック『奈良町物語』(奈良まちづくりセンター、1991.6)はその大きな成果の一つです。「当時、奈良といえば古代平城京時代の歴史がすべてで、中・近世の歴史にはほとんど光が当てられて」いないなかで、「地域住民や奈良市民の記憶から消え去って」しまったことがらを再発見することから始まったと言います(木原勝彬「あとがき」)。

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『奈良町物語』表紙。横井紘一氏画。

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まちづくり運動の報告書。表紙下部の「社団法人」に注目。まちづくり団体が法人格を取得した最初の例である。

お話をうかがうなかで桂さんがお書きになった「わたしの奈良町」(『地域創造』29、1996.2)をいただきましたが、末尾に興味深い一文があります。

『風景』という言葉は捉えどころがありません。「風景論」などとは無縁な一住民の私にとって、風景はあくまで個人的な思い出や生活とつながる「私景」でしかないのです。しかし奈良という類まれな土地に住んでいる以上、一人一人が風景に対してそれなりの責任感や緊張感を持って暮らしていきたいと考えています。

奈良で生まれ育った桂さんにとって、興福寺の見える景色も、街のざわめきも、四季の色もにおいも、「私景」の一部でしょう。近代奈良県の出版流通史を考えるうえでは重要な位置にいる藤田嘉平治・博介の両氏も、桂さんにとってはひいおじいちゃんとおじいちゃんです。でも、「私の知っているところでは」と前置きしながら語られるその「私景」が聴き手のなかで「風景」に変わることをご存じなのだと、まさに「責任感や緊張感を持って」お話くださっているのだと、ひしひしと伝わってきました。

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「大和史蹟研究会」看板。現在の入り口にかかっていたという。

桂氏の曾祖父にあたる藤田嘉平治氏が書店を開業したのは明治35年のこと。その後、大正14年に文進堂木原近蔵と合併して合資会社を設立。昭和4年には株式会社となりますが、桂氏のご祖父、藤田博介氏がその常務取締役に就任します。その少し前、大正13年に大和史蹟研究会を創設主宰し、出版活動をとおして奈良県文化財の周知等に尽力しました。当日は、その時々を記録した写真、出版物を拝見。若きころの池田小菊の写真もありましたが、桂氏がずいぶんかわいがってもらった思い出話もうかがい、文献をとおしてしか知らなかった人物や景色が、立体感をもって想起されるのでした。

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藤田嘉平治氏胸像。裏面に「贈奈良市有功者/市会議員藤田嘉平治君/昭和十二年三月/奈良市長石原善三郎」。

 

【26】田原でなら学——田原青年層の地域活動と昭和期青年団資料——

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講師の西久保繁己氏
  • 講師:西久保繁己氏(元奈良市図書館長・田原公民館主任)
  • 日時:2019年6月16日(日)14時〜16時
  • 会場:奈良市田原公民館講座室
  • 参加:5名
開催文
 参加記

かつて「優良村」として知られていた奈良市田原地区の特徴を、福西信幸「田原を訪ねて」はこう指摘している。

二宮金次郎で有名な報徳会の機関誌『斯民』は優良村田原について次のように記しています。「歴代の村長は何れも熱心で、その期間敢えて長期に渉った人はいないけれども、要するに誰でなくては治まらぬと云うこともなく又他を排して任に就こうとする野心家もない。推されて任に就くや精勤事に当たり……事なるや他に譲りて交代任に当たるの習慣がある。この点他の優良村と著しく趣を異にしている」と。このように、他の模範村が概して特定の「名村長」の個人的力量によって組織・維持されていたのに対して、田原では村内に設けられていた種々の経済団体、地域団体、社会教育団体などが大きな役割を果たしていたのであり、これらの諸団体の自律的で活発な活動と相互協力が原動力であり、優良村としての田原の歩みはそれらに何らかの形で参加していた愛郷心に富み、理想の村建設の意欲に満ちた村民のたゆまぬ営為によって、内部から深く支えられていたのでありました。*1

今回は、田原を支えていた「たゆまぬ営為」の一つとしての青年団に注目し、その歴史と意義を西久保氏にお話いただいた。西久保氏ご自身も地域公民館活動の一端として『田原のくらし』を編み、各種イベントをとおして青年団と関わってきた経験をお持ちだが、お話から見えてきたのは、青年団の、各人の自発性で支えられた組織力と行動力であった。今回、機関誌『月刊田原』を初めて見ることができたが、村政、修養、文芸といった内容に加えて編集や印刷、配布といった側面と、それが長きにわたっておこなわれてきたことを思うにつけ、村内の青年たちに受けつがれてきたであろう「精神」なるもの——上記の福西氏はそれを「愛郷心」と「意欲」と見、西久保氏もおなじことを仰っていたが——があったのだろうかと思う。その涵養と継承とにこの機関誌は大きく与っていただろうし、それがまた「精神」を培っていくというサイクルを思うのである。

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『月刊田原』をはじめ、『東和新報』『神野百姓』など珍しい新聞も。

 『月刊田原』は青年団『団報』や村農会『会報』、処女会会報などが統合されたものであるが、そうした成立前史に位置づけられる各誌、および『月刊田原』と同時並行で流通していた各紙誌が残っていた。また、奈良市内での印刷や広告から外部とのつながりも見えて来、田原という地区を内外から多角的に検証しうる格好の資料群であった。

*1:福西信幸「田原を訪ねて」、『田原のくらし—語りつごう私たちの文化—』第2集、奈良市立田原公民館、1988年3月、p.73。

第26回なら学研究会のご案内

「田原でなら学」―田原青年層の地域活動と昭和期青年団資料-

奈良・大和に関する郷土研究や郷土誌家を回顧・再評価する「なら学研究会」を開催します。

今回は、奈良市の東部山間の「田原(たわら)」地区を訪問します。昭和初期の地方改良運動の進展のなかで、昭和初期の日本を代表する「優良村」であった添上郡俵村(現奈良市田原地区)。その伝統をベースにして活発に活動を行ってきた青年団など、地元青年層による地域活動を中心に、市街地近郊農村である田原地区の風土と文化及び残された資料を探訪します。

  • 日時:6月16日(日) 13:30~15:30(予定) *開場は13:00
  • 場所:奈良市田原公民館 講座室(奈良市茗荷町1078-1 · 0742-81-0888)

 * 現地集合・現地解散となります。ご注意ください。

内容
  • 田原の青年層の地域活動について報告(報告者:西久保繁己氏 元奈良市図書館長・田原公民館主任)
  • 青年団機関紙『月刊田原』の紹介 *実物を拝見します
参加者募集!

定員12名。参加希望者は下記アドレスにメールで申し込んでください。

  • narastudy*cc.nara-wu.ac.jp(*に@を挿入)
  • メールタイトル:26なら学研究会申し込み
  • メール本文:第26回なら学研究会への参加申し込みのこと、住所・氏名・連絡先(当日もチェック可能なもの)
  • 複数参加希望の場合には参加人数

なお、6月14日をもって、また定員に達した場合はそれ以前に締め切らせていただきます。

備考
  • 会場近辺には食堂がありません。昼食は各自お済ませください。
  • 奈良交通バスで来られる場合には、奈良市内10時台発のバス(北野行き)しかありません。
  • 田原公民館周辺は「自由乗降区間」のため、乗車の際に運転手に田原公民館で下車する旨伝えてください。
  • 帰りは18時台に田原公民館前を通過するバスまでありません。バスがきたら挙手してバスを停車させ、乗車してください。「茗荷みょうが」バス停からも徒歩数分です。詳しくは奈良交通バスのホームページでご確認ください。

なら学勉強会を開催しました

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  • 講師:奥村隆彦(近畿民俗学会名誉会員)
  • 日時:2019年5月19日 14時〜、於奈良女子大学文学部N339教室
  • 出席:6名

小児科医でもあり民俗学者でもある奥村隆彦先生にお越しいただき、ご自身のご研究、民俗学と医学の相関、近畿民俗学会、そして奥村先生の知る澤田四郎作についてお話いただきました。

1927年(昭和2年)お生まれの先生は、本年で御年92。鮮明かつ整然としたお話で、とあるエピソードが今から見れば民俗学研究史の転換点にあたるできごとであったことなど興味深くうかがいました。

また、こんにちの学会/学界に対する批判も思い当たるところ多々あり、いかなる場としてあるべきか、いかなる機能を担っていた/いくかなど参加者とともに議論しながらの、あっという間の2時間でした。