なら学研究会

奈良女子大学なら学研究センターのワーキンググループ「なら学研究会」の活動報告。奈良の研究史・研究者の回顧・再評価をおこなっています。

【32】『生駒新聞の時代 山崎清吉と西本喜一』をめぐって

第32回なら学研究会がオンラインでおこなわれた。

  • 題目:『生駒新聞の時代 山崎清吉と西本喜一』をめぐって
  • 講師:吉田伊佐夫氏(元産経新聞記者)、小島亮氏(中部大学人文学部教授)
  • 日時:2021年10月14日(木)17:00~19:00
  • 開催:zoomによるオンライン開催
  • 参加:13名(最大時)

この研究会が企画された、その事の発端は、小島亮先生より磯部(なら学研究会、奈良女子大学宛にご著書『生駒新聞の時代』を恵贈いただいたことにあった。同書を読んだ私(磯部)と寺岡は興奮さめぬままに吉田氏と小島氏に連絡を取り、すぐさまこの企画を立ち上げたのだった。

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吉田伊佐夫氏(左手前)と小島亮氏(右奥)

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研究会開始前の風景。話は縦横無尽に弾み盛り上がる。

小島氏によれば、かつて古本屋で澤田四郎作『山でのことを忘れたか』創元社、1969)を購入し、それをきっかけとして『近畿民俗』を読んでいた時期があったとのことで、澤田四郎作を、今では忘れられてしまった研究者ではあるけれども研究史上きわめて重要な位置にあって決して忘れるべきではない研究者のひとりと見ていたところ、なら学研究会による澤田四郎作研究が目にとまったのだったという。メディエーター澤田四郎作のご縁であったわけだが、澤田とおなじく『生駒新聞』もまた、忘れられつつあるけれども決して忘れてはいけない重要紙のひとつとして見ており、「生駒」のみならず「奈良」を考えるうえでも貴重な参照項になるであろうことから、検証と評価、そして次世代への継承という吉田氏と小島氏の熱い思いから本書は生み出されたのだった。

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オンライン研究会。画面越しに伝わる熱気。

詳しいことは、とにかく本書を読まれたい。

ここで特記しておきたいのは、『生駒新聞』の土壌とも言うべき人脈である。『生駒新聞』は、大正12年(1923)創刊の『愛郷新聞』に始まり、昭和32年(1957)に『生駒新聞』と改称して平成4年(1992)10月2日の終刊1646号まで、約70年の長きにわたって生駒で刊行されてきた地方紙であり、その執筆が生駒在の人びとによっておこなわれてきたという特異な性質を持つ。研究会における小島氏のまとめを引用すれば、

生駒の地元の文化人、学校の先生、政治家、画家らが執筆に参加し、自分たちの作品や言説を発表する場として機能していた、文化同人誌的新聞である。

そうした人びとが交じりあう結節点にいたのが山崎清吉と西本喜一のふたり、「西本喜一というエディター、プロモーターと山崎清吉という文士、文化人の二人が共鳴して七〇年代の生駒の文化をつくり上げた」(本書p.108、座談会における小島氏のご発言)のだった。

先ほど私は何の気なく「土壌」ということばを使用したのが、たとえば北海道立総合研究機構農業研究本部は「土壌」を「ある場所に存在して、地質、地形、植生、気候、さらには人為的な働きかけ、等の様々な自然条件や環境のもとで生成してきた自然体」*1と定義づけている。本書に引きつけて言い直せば、土壌は無前提にその土地々々にあるのではなく人びとが動き繋がることによってその土地々々に生成されるもの、ということだ。土壌だから作物や植物を育むいしずえともなる。思うに、ネットワークを網の目(ネット)の機能や作用(ワーク)と見れば、その網のうえを流れる情報(コンテンツ)よりも目の結び目、結節点における何らかの作用——化学変化も起ころうし、継承や断絶も起こるだろう——にこそ目を向けるべきであるし、なによりも、そこにはかならず人がいるのだ。

なら学研究会の研究テーマのひとつである「奈良の人的ネットワーク研究」を想起しつつ、研究の足場を再確認している。

*1:ホームページ掲載「北海道の耕地土壌Q&A —— 土壌の種類、分布や土壌図に関する質疑応答集」より「Q.16「土」と「土壌」はどう違うのですか」。https://www.hro.or.jp/list/agricultural/center/seika/soilqa2/q16.htm