なら学研究会

奈良女子大学なら学研究センターのワーキンググループ「なら学研究会」の活動報告。奈良の研究史・研究者の回顧・再評価をおこなっています。

【33】下北山村を知る

第33回なら学研究会を開催した。

  • テーマ:下北山村を知る
  • 講 師:巽正文氏(元・下北山村歴史民俗資料館長)
  • 日 時:2022年3月14日(月)午後2時~4時
  • 開催:zoomによるオンライン開催
  • 参加:27名

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巽正文氏

下北山村がどのあたりにあるかご存じだろうか。

奈良県の南端に位置し、同村の南は三重県和歌山県と接している。西辺は熊野へと至る大峯奥駈道と接しており、ゆえに修験道と関わりの深い地でもある。奥深い山間の地であるが、北山川は南下して熊野川と接続して海へとつながる水運の地でもあった。

 

この研究会では、まずこうした地理的な説明から始まり、その後に各集落の特徴が説明されていった。

下北山村林業においては、川沿いの池原・桑原の筏師たちが他集落の切り出した木々を運んでいったのだが、発電所の建設による水流の変化等が起こったという。そこで、発電用水路を利用した筏流しが始まり、「落筏路」(らくばつろ)が作られたのだという。

奈良県立図書情報館ITサポーターズによる「奈良の今昔写真WEB」では、「吉野町・神宮・吉野川」項において楢井発電所における落筏路の写真が掲載されている。以下のURLよりページ上方にある「落筏路(流筏路)」の項をご覧いただきたいが、「落筏路・吉野発電所第二水路」などはなかなか勢いのあるようすが撮影されていて、水路の長さも知りうる興味深い写真である。

下北山村とは別地域ではあるが、参考までに掲げておく。

後半は、巽氏ご持参の『禅宗門御改寺請并家数人別員数帳』を読み解きながら、下北山村の歴史を紐解いていった。他地域からの移動による家の増加と耕地の分割。それゆえの山の切り出しと林業の発達。史料の記述から歴史が浮かびあがってきてきわめてスリリングであったが、過去のこととしてとどまるものではなく、万博による人の流出と林業の機械化などにもつながっていく現在進行形のお話であった。

下北山林業は村内で完結するものではなく、たとえば下市を通じて新宮と繋がっていたりもしており、下北山村をとおして「奈良」のネットワークを知る機会ともなった研究会であった。下市町にある奈良女子大学下市アクティビティセンターで視聴してくださった地元の方々も興味を持って聞いてくださったようだ。これからはこうした機会をとおして、下市の方と下北山の方など、地域間のディスカッションが花開いていくこともなら学研究センターは願っており、そうした機会をどんどん設定していく予定である。

以下、当日のようす。

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