なら学研究会

奈良女子大学なら学研究センターのワーキンググループ「なら学研究会」の活動報告。奈良の研究史・研究者の回顧・再評価をおこなっています。

【34】吉野の山村と私の研究——十津川村を中心に

2022年9月11日(日)、岡橋秀典氏(奈良大学教授、人文地理学)を講師にお招きして、「吉野の山村と私の研究——十津川村を中心に」と題した研究会(第34回研究会)を開催した。

講師の岡橋氏は農村地理学がご専門。日本の農山村とインド地域研究を行ってきたのち、近年は日本の農山村、とくに奈良県の山村研究に力を入れておられる。

日本は山地が60%以上を占める。しかも、多くの人々が古くから山に居住し、固有の社会・文化を形成してきた。しかし戦後極めて大きな変化、そして厳しい過疎化にさらされ、日本の山村は存亡の危機にある。

岡橋氏は、いまあえて日本の山村の多様性とその豊かさに目を向け、それらの持続可能性について考えてみたい、と述べられた。近視眼的な「今ここ」ではなく、より長期にわたり、かつ俯瞰的な視野に立って展望することが、山村の未来を考える際に必要だ、という主張が、岡橋山村地理学のコアにある、と感じられる。

奈良県斑鳩町生まれの岡橋氏は、1970年代、自身の卒業研究のフィールドとして吉野郡十津川村上湯川地区を取り上げられた。そして昨年、「奥吉野山村・奈良県十津川村における1集落の変貌ー上湯川集落の200ー」(奈良大地理27号、2021年)と題する論文で、改めて上湯川に焦点をあて、その変容から山村を読み解く作業を行なった。上湯川の変貌を数期に分けて上記の視野から語るなかで、上湯川という山村が動的に蘇るような高揚感を抱いた参加者も少なくないのではないだろうか。「私の研究は、吉野に始まり、吉野に終わる?」と自ら語られる岡橋氏の山村研究の核心を十津川に伺い知ることのできる報告であった。

最後のまとめとして、氏は、上湯川でも十津川村においても、そこには地域固有のレジリエンスが作用してきたと述べる。マクロな激動のなかで、山村は精一杯、かつ柔軟な対応を見せてきた、それがレジリエンスだ。とくに上湯川では、椎茸生産に始まる長期にわたるキノコ生産の伝統と、開放的でフラットな地域社会が作用しているようだ、氏は総括された。

上湯川を含めた十津川村は、例えばダム開発の遺産(貯木場等維持管理事業基金の活用による林業の6次産業化事業、さらに「日本一広い村」としての十津川ブランド構築など、次々と戦略を繰り出し、その歴史を未来につなごうとしているのである。

十津川村、9月」といえば、2011年の紀伊半島大水害が想起される。質疑応答の時間の冒頭、永井書林、松山京氏による『現代語訳 吉野郡水災誌十津川編』(永井書林、2020.9)の紹介が行われた。

水害時、十津川村永井地区におられた松山氏が『水災誌』と出会い、その十津川部分を現代語訳して村の方たちに届けるため出版社まで立ち上げられた思いの一端をお話いただくことができた。奈良・大和の歴史や文化は、まさにそこに居る人々によって経験され、紡がれていく。そのことをあらためて感じた今回の研究会であった。